光闇 「忘れられた世界の果て〜奇跡の花を咲かすために生まれてきた〜







 薄暗い部屋を隔てる分厚いガラスに張り付くように、幼い子供がその先を覗き込んでいる。その視線の先にあるのは、ガラスケースで守られた一枚のデュエルモンスターズのカードだ。カードを眺めることに集中している所為か、白くて長い髪を持つ女の姿をした精霊が現れ、後ろに近づいて来たことにも気づかない。
『・・・・・・・・・・・・わっ!』
「わあ!」
 小さな悪戯に大げさなくらいの反応で飛び上がり、少し癖のある蒼い髪を揺らし、慌てて後ろを振り向いた。そこにいるのが自分の心許している精霊で、クスクスと笑っていることを確認して少年は胸を撫で下ろす。
『また勝手に入り込んで・・・・・・何度も言ってるでしょ?ここに来っちゃダメだって』
「ごめんなさーい」
 悪びれのない形だけの謝罪に精霊は呆れたようだったけれど、闇夜に輝く月のような金色をした瞳を優しく細めて、少年の少し癖のある髪を優しく撫でた。恰好だけの掌でも、その少年には十分だった。
『さぁ、みんなに見つかって叱られちゃう前に行こう』
「うん!」
 まだ少し心残りだったけれど、また見に来ればいいと、手を引かれるまま部屋を出た。薄暗い部屋から廊下に出ると、外の景色を望むことの出来る窓から太陽の光が滲む空が見える。けれど時間はすでに夜の10時をまわっていて、ベッドに入る時間はとっくに過ぎていた。白夜ってヤツだ。
 一日中沈まない太陽が夜空を照らし続けていて、どうにも眠れない。そんな気持ちをわかってくれているのか、隣を歩くその人はベッドから抜け出したことを叱ったりしない。そんな些細なことがとても嬉しくて、触れることのできないその手をギュッと握りったら、その人も笑いながら握り返してくれた。
『眠れないなら、お話をしてあげようか、ヨハン』
「ホント!?やったー!」
 ヨハンと呼ばれた少年は満足そうに笑っていた。




 turn.28 アルビノ




 そこは少年にとって先の見えない窮屈な檻だった。自由にできることは少なかったし、やらされることは退屈なことばかりだ。それ以上に気に入らなかったのは、まわりにいる大人達だ。幼い少年にはよくわからなかったが、そこにはデュエルについての何かを研究している大人がたくさんいて、傍から見たら、きっと彼等から大切に扱われているように見えただろう。実際、少年に対して乱暴なことをする人はいないし、生活に不自由するようなことはない。手取り足取りの待遇に、むしろ放って置いて欲しいと思うぐらいだった。
 けれど少年にはわかっていた。その扱いが、ただの幼い一人の子供に対するものじゃないことに。どんなに笑っていても、自分に向けられている視線が、施設の中に居る動物達に向けられているものと同じだということに。



「・・・・・・なぁ、お前。お前も名前ないんだよな?ボクもないんだ」
「にゃあ〜」
 ある晩、ベッドから抜け出したボクは、中庭で飼われてたネコに愚痴っていた。
「この世のものにはみんな名前があるけど、それとは別に、それぞれ自分の親からもらった特別の名前があるんだって。でもボクにはそれがないんだ」
「にゃああ」
「普通は一緒に暮らしてる動物にも、飼い主が名前をつけてあげるんだって。けど、ここで暮らしてる動物にも名前はつけてあげないんだって」
「にゃああ」
 合いの手を入れるように、ボクと同じ名無しのただのネコが鳴いた。きっとネコもボクと一緒で不満だったに違いない。
「今まで気にもしなかったけど、みんなにも名前があるのにここじゃ使わないんだって。どうしてって訊いても、みんな“決まりだから”って誤魔化すんだ」
「にゃああ」
「でもみんな外じゃ特別の名前で呼ばれてるんだ。ずるいと思わないか?」
「にゃああ」
 ネコ相手に愚痴ってるうちに、なんだか悲しくなって来た。
「減るもんじゃないんだから、ケチケチしないでひとつくらいくれたらいいのに・・・・・・やっぱり本当の親じゃ・・・家族じゃないから・・・なのかな・・・・・・?」
「にゃああ」
 しゃがんだまま膝の間に頭を抱え込んでそう呟くと、ネコが返事をした。あいかわらず「にゃあ」としか言わないが、それは「そんなことない」というより「そうだな」ってふうに聞こえた。涙が込み上げてきたその時、フワリと優しく頭を撫でられた気がした。もちろんそれはネコな訳もなく、見上げるとそこにはいつもの見知った精霊がいて、悲しそうな顔でボクを覗き込んでいた。その精霊はどういう訳かボクのことを気に掛けてくれていて、こうやって度々会いに来てくれる。
『ベッドに居ないから探しにきたの』
「・・・・・・別にどこにも行かないし・・・行くとこないし・・・・・・」
『そう・・・・・・』
 泣いてるところを見られたと思うと少し恥ずかしくなって、もう一度頭を下げた。その人はそれからボクの涙が止まるまでの間、ずっとボクの頭を撫で続けていた。ボクは本当のママを知らないけれど、この精霊みたいな人だったらいい。こっそりそんなことを思っていた。
『名前が欲しくて、昼間ずっとみんなに訊ねてまわってたの?』
 どうやら昼間の行動も見ていたらしい。ボクが少し落ち着いてきたところでその人が訊ねてきた。どうなんだろうと少し考えてみる。今までなくても問題なかったから、このままなくてもいい気もするけど、言われてみればやっぱりボクは、ボクだけの名前が欲しかったのかもしれない。
「・・・・・・うん、たぶん・・・・・・でも、ここの“決まり”なんだ」
『ふうん・・・・・・じゃあ、私が名前をつけてあげようか。みんなには秘密で』
「え!?」
 想像もしなかった提案にボクは飛び上がった。
『やっぱり私じゃ、イヤ?』
「そんなことない!全然ない!欲しい!」
 ボクの反応に驚いたのか不安そうな表情をしたその人に、慌てて縋りついた。もし「ボクだけの特別な名前」がもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。
 ボクの笑顔に安心したのか、その人はすぐに考え始める。
『よかったぁ。じゃあ、どんな名前がいいかな。う〜ん・・・・・・名前、名前・・・・・・・・・・・・案外難しいね・・・・・・』
「なんでもいいよ!普通の名前で、覚えやすいのなら、なんでも!」
『そう?』
 聞いたこともないような名前や、思わず笑っちゃうような名前以外なら、なんでもいいと思ったけど、その人は再び『うう〜ん』と唸って考え込んでしまった。考えてみたら当たり前だ。たったひとつの特別の名前が、そう簡単に決まるはずがない。
「急がなくていいよ。これってヤツが浮かんだらでいい。あ、あんまり時間がかかるのもイヤだけど・・・・・・」
『ん、わかった。じゃあ、一緒に考えようか』
 ボクの提案に笑ってくれてホッとする。そこでふと気になった。そういえばボクはその人の「名前」を知らなかった。
「あ、ねえ。あなたの名前はなんていうの?」
『あ・・・え、と・・・・・・』
 聞いちゃマズイことだったのかもしれない。その人は辛そうな顔をして黙り込んでしまった。
「ごめん、ここじゃ言えない?無理に言わなくてもいいよ?」
『ごめんなさい・・・・・・』
 その人は見た目は大人の女の人だったけれど、時折ボクより幼い子供なんじゃないかと思う時がある。今も落ち込んで小さくなってしまったその人に、申し訳なくなったボクは何とか励まそうとして、ふといい考えが浮かんだ。
「いいこと思いついた!じゃあ、一緒に考えようよ!ボク達だけの秘密の名前!」
『・・・・・・うん!』
 咄嗟の思いつきだったけれど、その人も嬉しそうに笑ってくれた。我ながらいい考えだ。二人で笑い合い、さっそくどんな名前がいいか考え始めた。



 そうして、はじめてもらった名前が「ヨハン」だった。
 絵本や本で調べながら、どこにでもいそうで、ありふれたな名前がいいと言ったら、その人が決めてくれた。
 名前をくれたその精霊の名前は「エリシュカ」だ。
 ボクが決めた。とくに理由はない。なんとなくその精霊に似合ってると思ったからだ。
 その後も、大人達には内緒で、ボクとエリシュカでそこで生活している動物達や、場所や物にも名前をつけていった。それがボクにとって一番の楽しみになった。もちろん本当の名前を知りたいとも思ったけれど、まわりの大人達はあいかわらず、どうしても必要なもの以外は教えてくれなかったから仕方がない。
 一通り名前をつけ終えて、お気に入りの世界が出来たような気がした頃だった。その世界は呆気なく崩れた。






 その日も、沈まぬ太陽が夜の闇を追いやって空を明るく染めていた。ベッドに入ったもののやっぱり眠れなくて、いつものようにちょっと散歩にでも抜け出そうとした時だ。ヨハンの前に白い蝶の妖精がヒラヒラと飛んで来た。
 その妖精の名前は知ってる。「ホワイト・パピヨン」デュエルモンスターズの精霊だ。あだ名は「カレル」。エリシュカと同じくボクが名づけた。丁度いい、散歩に付き合ってもらおう。そう思ったのも束の間、カレルの様子がおかしいことに気づいた。
「!・・・・・・どうしたの?なんで泣いてるの?」
『・・・・・・・・・・・・っ!』
 いつもは楽しそうにヒラヒラと飛んでいるのに、目の前のホワイト・パピヨンはポロポロと涙を流し、慌てふためいて空を落ち着きなく彷徨っている。何がそうさせているのかわからず困っていると、カレルは取って返すように部屋を出て行ってしまう。
「カレル?ちょっと待って、どこ行くんだよ!?」
 慌てて後を追うとカレルは少しこちらを振り返った。どうやらついて来いということらしい。誘われるがまま後をついて行くと、勝手に入っちゃいけないと言われているカードが保管されている部屋に辿り着いた。しかも、いつもならこの時間誰もいないのに、今日に限って大人が忙しそうに出入りしている。
 何をしてるんだろうと、こっそり様子を伺おうとしたけれど、大人達の間から見えた光景にボクは思わず飛び出した。
「エリシュカ!?」
 分厚いガラスの向こう側に、タマゴのような形をした大きなガラスのカプセルが置かれていて、その中にエリシュカが閉じ込められていたのだ。
 ここにいる大人達は、デュエルモンスターズの精霊について研究してるらしいけど、精霊を見ることができる人はいない。僕だけのはずだ。なのに、どうしてこんなことになったのだろう。
「エリシュカ!エリシュカ!」
 ボクに気付いて、慌てて止めようとする大人達の手を振り払ってガラス張り付き、向こう側に呼びかけると、ボクを見つけたエリシュカは一瞬嬉しそうな顔をしたけれど、すぐに眉を顰めて頭を左右に振る。ここに居ちゃいけないってことだろうか。ボクは側にいた大人に噛み付いた。
「なんでこんなことするんだよ!エリシュカを出して!」
「大丈夫だよ。あの精霊はこれから君の力になってくれる」
「ボクの力・・・・・・!?」
「あの精霊はデュエルモンスターズのカードとして、君に力を貸してくれるようになるんだよ」
 何を言っているのかボクが理解する前に、大人達は頷き合うと隣に設置されていたコンソールを操作した。その画面にエリシュカと入力すると、すぐにガラスの向こう側で変化が起こる。ゴウンという機械の起動音と共にカプセルの中に光が注ぎ、その中でエリシュカが悲鳴を上げた。
「ダメだ!やめて!」
 苦痛に震えるエリシュカを見ていられなくて、ボクは止めようと必死に側の大人にしがみ付いた。けれど、その人はそんなボクの焦りなど御構い無しに訊ねてきた。
「・・・・・・教えてくれないかな。エリシュカという名前は、あの精霊の本当の名前かい?」
「そんなことどうでもいいから、今すぐあそこから出してあげて!」
「それは出来ない。これは君の為であり、あの精霊の為でもあるんだよ。だから、本当の名前を知っているのなら教えてくれないかな?」
 それはボクから名前を聞きだす為の嘘だと思った。そんな嘘を吐く大人が本当に嫌だったし、この状況に何もできない自分も嫌だった。だけど、ひとつだけよかったと思うこともあった。
「・・・・・・知らない」
「本当に?」
「本当だよ・・・・・・!ボクは知らない!ねえ、エリシュカをボクのカードにしなくていいから、お願いだからもうやめて!」
 本当はずっとエリシュカの本当の名前を知りたくて仕方なかったけど、今はそれを知らないことに感謝した。もし知っていたら、耐えられずに言ってしまったかもしれない。
 ボクが嘘を吐いていることはないと考えたからか、他に理由があったのかはわからない。大人達は再び頷き合ってコンソールを操作すると、カプセルに注ぎ込んでいた光が途切れた。その中で崩れ落ちるエリシュカを見て、大人達の手を払い除け、ボクに反応して開いた扉をくぐって、エリシュカを閉じ込めているガラスのケースに駆け寄る。何度名前を呼んでも、エリシュカはぐったりと倒れ込んだまま動かない。
「エリシュカ、エリシュカ!」
「エリシュカという名前は、君がつけたのかい?」
「!・・・・・・それは・・・・・・」
 そのことはボク達だけの秘密だったから、話してしまっていいのかわからず口篭っていると、その人は横に並んでいたガラスケースの中のひとつから、一枚のカードを取り出しボクに差し出した。
「これを見てごらん」
「・・・・・・ホワイト・パピヨンのカード?」
 よく見ると「ホワイト・パピヨン」の名前の横に「カレル」と書いてある。それはボクがあだ名としてつけた名前で、こんなふうにカードに書かれるはずがない。
「カレルって、どうして・・・・・・!?」
「これはもとは他と変わらないノーマルカードだった。精霊が宿っているということ以外はね。なのに、ある日を境に変化してしまった。それにこのカードだけじゃない。今では、ここにある精霊の宿るカードがすべて、こんなふうに変わってしまった」
「ボクは、こんなの知らない・・・・・・!」
「わかっているよ。わざとじゃないことは。ただ、君が望んだことに精霊達が答えただけだ。けれど、それはいいこととは言えない。名前が変わるということは、本来の能力を妨げてしまうことにもなるんだ。わかるかい?」
「・・・・・・・・・・・・!」
 そこでようやく起こっていることの重大さに気づいた。もし、この人の言うことが本当で、精霊の宿ったカードの名前や効果が、ボクの期待に答えて勝手に変わってしまうんだとしたら大変なことだ。
「これまで君に名前というものを教えなかったのは、私たちは君が特別な力を持っていることを知っていたからだ。私たちの名前を教えなかったのも、君がそれを知ることで、精霊達だけじゃなく、私たちの意志さえも変えてしまう可能性があったからだ。とはいえ、今回のことは私たちにとって予想を超えたものだったよ。まさか、君が戯れにつけた名前までもが、影響を与えることになるとはね」
「意思を、変える?」
「言い方を変えるなら、相手を支配して従わせてしまうってことさ」
 支配という言葉にとても恐ろしいものを感じて、ボクは反射的に首を振った。
「ボクはそんなことしない!」
「そうだね、君に悪気はないのはよくわかっている。けれど君のそんな気持ちとは別に、まわりのものが否応無しに巻き込まれてしまう。そして、そのことが世界を危険に曝してしまうかもしれない。それは巻き込まれたモノだけじゃなく、君にとっても不幸なことだ。だから私たちは君がその力をきちんと理解し、正しい使い方を判断できるようになるまで、その可能性を遠ざけようとしたんだ。だが、君がこの精霊と接するようになってから、今回のことが起こり始めた」
「エリシュカは悪くないよ!ボクが、名前が欲しいって言ったから・・・・・・!」
 そうだった。ボクがそう望んだから、エリシュカが答えてくれたんだった。あの時、ボクがそんなこと思わなかったら、きっと今も名無しのままだったし、エリシュカだってボクにとって特別な精霊にはなっていなかったかもしれない。
 そのことに気づいて、ボクは何もかもが信じることができなくなった。今までそれを教えてくれなかった大人達はもちろん、慕ってくれていると思っていた精霊達も。何よりボクは、ボク自身が一番信じられなかった。
 もし、知らないうちにエリシュカの意思をボクが変えてしまっていたとしたら、それはとても恐ろしいことだ。ボクはエリシュカにどう謝ればいいのだろう。
「わかっているよ。おそらくこの精霊は君の力をよく理解しているんだろう。とはいえ、正体のわからない精霊をこれ以上放っては置けない。私たちも色々調べたが、この精霊のことを突き止めることができなかったんだ。君に害をなさないならいいが、もしかしたら君の力を利用する為に近づいたのかもしれない。少なくとも、君の力の影響から免れようと、この精霊は本当の名前を教えてはくれなかったのだろう?」
「それは・・・・・・」
 エリシュカのことを疑うなんて考えたこともなったボクは、どうすればいいのかわからなくなった。
「私たちは、これ以上事態が大きくなることを止めなければならないんだ。君も力を貸してくれるね?」
 大人はずるい。どれだけ大嫌いな相手でも、そんなふうに言われたらボクには拒否できないじゃないか。だってその原因は他の誰でもない、このボクなのだから。






 外の世界から遮断され、得体の知れない機械に囲まれたその部屋じゃ、あれからどのくらいの時間がたったのかわからない。大人達に言い包められて、エリシュカを助け出すこともできなかったボクは、せめてエリシュカが目を覚ますまで側にいようと、ガラスの檻の前で座り込んでいた。少し前までは大人達がボクの様子を伺っていたけれど、今は出て行ってしまって、部屋にはボク以外に精霊達しかいない。
 そんなボクを心配してくれているらしい。カレルや他の精霊達が側にいてくれるけれど、そうしてくれるものボクの力の所為だとしたらと考えると、以前のように素直に喜べない。そして、そんなふうに思ってしまう自分に何度も落胆した。
 ただひとつ、心に決めたことを忘れないようにと、抱え込んだ膝に顔を押し付けて繰り返し自分に言い聞かせていると、頭の上からずっと聞きたかった声が降って来た。
『・・・・・・ヨハン』
 見上げると、カプセルの中で上半身をゆっくりと起こすエリシュカの姿があった。
「エリシュカ・・・・・・!大丈夫?」
『私は平気。ヨハンの方こそ大丈夫?怖い思いをさせてしまった?』
「・・・・・・ごめん、本当にごめんなさい・・・・・・!」
『謝らなくていい。ヨハンは何も悪くない』
 そう言ってエリシュカは微笑んでくれたけど、ボクはそれをまっすぐ受け止められなかった。
「違う・・・・・・!全部ボクの所為だった・・・・・・ボクがひとりぼっちなのも、エリシュカが酷い目にあったのも!」
『ヨハン』
「エリシュカは知ってたんだ。ボクの力のこと・・・・・・だから名前教えてくれなかったんでしょ?」
『・・・・・・・・・・・・』
 図星だったのだろう。エリシュカは辛そうな顔で黙り込んだ。でもボクにはそれを責めることができない。エリシュカにそうさせたのはボクだからだ。
「やっぱり本当のことなんだ・・・・・・ごめん。もう、君のことエリシュカって呼ばない。だから、僕のこともヨハンって呼ばなくていい」
『どうしてそんな悲しいこと言うの?』
「だって・・・・・・ボクはこれ以上、あなたを苦しめたくない・・・・・・」
『ヨハンがくれた名前を呼んでくれない方が、もっと苦しいよ・・・・・・!』
 泣き出しそうな表情でボクを見るエリシュカに、折れそうになる心を必死に叱りつけて、ボクは決心していたことを口にした。
「ここの大人達はあなたのこと、無理やりカードに閉じ込めてしまおうとしてる。この機械はその為の物なんだって言ってた。でも、その為には本当の名前が必要なんだって。だから、ボクにあなたから本当の名前を聞き出して欲しいってみんなに言われた。そうすれば、カードの精霊としてずっと側にいられるって・・・・・・」
 言いたくないことを言ってるからだろうか。口の中がカラカラに乾いてしまって上手く喋ることができない。それでもボクは必死に途切れそうになる言葉を続けた。
「ボクはあなたのことが好きなんだ。でも、もしボクの力が本当なら、あなたは本心とは別に、いつかそれに答えようとするかもしれないんでしょ?ボクはそんなの嫌だ。そんな嘘の気持ちなんて嬉しくない。欲しくない。あなただけじゃない。ここにいる精霊達も同じ。ボクはもう前みたいに精霊達を信じられないんだ。だから、これ以上疑ったり嫌いになったりする前に、ここでお別れするよ」
『ヨハン・・・・・・!?』
「みんなに頼むよ。あなたと精霊達を自由にしてあげてって。そのかわり、これからボクはみんなの言うことを聞くからって。もし聞いてもらえなくても、ボクが絶対にみんなを自由にしてあげる。だから心配しないで・・・・・・!」
 これ以上エリシュカを前にしていたら気持ちが折れてしまいそうだったから、ボクはエリシュカを見ないように立ち上がり、その場から走り出そうとしたその時、思いもよらない言葉が飛んできた。
『ヨハンのバカ!』
「ばっ・・・・・・!?」
 エリシュカからそんな言葉が出てくるなんて考えたこともなかったボクは、思わず振り返ると、そこにはボロボロと涙を零すエリシュカの姿があった。
『ヨハンの特別な力は本当だけど、だからヨハンの側にいたんじゃない。もし、その力の所為でヨハンのことが好きになったんだとしても、私達みんな、ヨハンと一緒にいられて幸せなのに、どうしてそんなふうに言うの?それとも、ヨハンは私達と一緒にいるのが辛かった・・・・・・?!』
「そんなことない、そんなことないよ・・・・・・!ボクは、ただ・・・・・・」
『私はヨハンに知られたくなくて、本当の名前を黙ってたんじゃない。ヨハンが持っていないものを、私が持ってるってことが後ろめたかっただけ。それに、ヨハンが名前をくれたことが嬉しかったの。とてもとても嬉しかったの・・・・・・!』
 エリシュカがそんなふうに思ってくれていたなんて、思いもしなかった。はじめて知った自分のことで精一杯で、自分のことばかり考えて、大好きなエリシュカのことを傷つけてしまったことに、その時になってやっと気づいたボクはとても後悔した。
「ごめん、エリシュカ・・・・・・!エリシュカがそんなふうに思ってくれてるなんて、ボク思わなくて・・・・・・酷いこと言ってごめんなさい!だからもう泣かないで・・・・・・!」
『特別な力なんて関係ない。たとえ今ここで、デュエルモンスターズのカードにされてもいい。私は、私の意志でヨハンのことが好き・・・ずっと一緒に居たい・・・・・・!』
 エリシュカの金の瞳から涙が途切れることなく零れ落ちる。ガラスの向こう側から伸ばしたエリシュカの手に、ボクは恐る恐る自分の手を重ねた。
 ついさっきまで、まるで世界が終ってしまったようにさえ感じてしたのに、今はエリシュカから惜しみなく与えられる好意に舞い上がる気分だった。
「本当に・・・・・・?」
『本当に・・・・・・その証として、私の本当の名前を教えてあげる』
 エリシュカが、ガラス越しに囁くように言った。
「え!?」
『私の本当の名前は――――――』
 次の瞬間、その場を切り裂くような警報が鳴り響いた。
 耳を突き刺すような警報の理由を考える間もなく、ボク達のいた部屋の扉にロックがかかり、部屋を区切っているガラスの壁にもシャッターが下りてしまう。同時にけたたましい警報からは解放されたけれど、部屋に閉じ込められ身動きが取れなくなってしまった。ボクは外の様子を探ろうとして、部屋にあったコンソールに手を伸ばすと同時に、スピーカーからノイズの混じった声が流れてきた。
『ヨハン、研究室にいるな?』
 聞き覚えのある声に、思わず返事をしてしまう。
「え?あ、うん」
『非常事態だ。そこから動いちゃダメだからね』
「わ、わかった・・・・・・!」
 ボクはそう答えたものの、頭に浮かんだのは、エリシュカを外に出してやろうということだった。
「エリシュカ、待っててね!今、出してあげるから!」
 いつも大人達が触っているコンソールを、見よう見まねで触ってみるたけれど反応はない。適当に触ってエリシュカを危険な目に会わせるぐらいなら、このまま何もしない方がマシだ。だけど、エリシュカを自由にするには大人の目もない今しかないと思えた。
 ボクは覚悟を決めて、ドキドキしながらもう一度パネルに触れる。すると、思いもよらずコンソールの液晶画面に、分割された映像が映し出された。それは見知った景色だった。
「これって・・・・・・」
『施設内の防犯カメラの映像だと思う。きっと緊急時にここから外の様子を知るために、はじめからプログラムされていたのね』
 いくつかの映像には知っている人達も映っていて、いつもとは違う余裕のない様子に、何か大変なことが起きてるのだということはわかった。
 そうやって映し出される映像に気をとられていたのは、ほんの少しの時間だったと思う。分割されたひとつの画面の中に、見慣れぬ服装を纏った人たちが走り込んで来た。
「この人達は・・・・・・?」
 確か迷彩服とかいう兵隊が着るもののはずだ。ヘルメットにゴーグルまで付けていて、顔がよくわからない。そんな格好をした人達がどうしてここに来たんだろうと、そこではじめてボクは得も知れぬ不安を覚えた。これから何が起こるのだろう。どうすればいいのだろう。
 考える暇もなく、画面の中でその侵入者達と大人達が鉢合わせた。すると迷彩服を着た侵入者達は手した銃らしきものを、迷いなく大人達に突きつける仕草をする。それに気づいた大人達は慌てて逃げ出した。
 呆然とそれを眺めていたボクに、次に何が起こるのかを察したのかエリシュカが声を上げた。
『・・・・・・っ!ヨハン、見ちゃダメ!』
 もうほんの少しエリシュカの警告が早ければ、ボクはそれを見ることはなかったかもしれない。けれどボクの視線がエリシュカの方へ向けられるよりも先に、画面の中の大人達が、突然崩れ落ちるようにバタバタとその場に倒れ込んだ。そして、倒れた人達のまわりに赤い染みが広がっていく。
「エリシュカ・・・・・・?何、これ・・・・・・」
『私のことはもういいから!お願い、ヨハン!』
 それが何なのかすぐにはわからなかった。だけど、続けて分割された横の画面には、侵入者達に撃たれた人達が、真っ赤な血を撒き散らしながら倒れる姿を映し続けていた。低い場所に置かれたカメラからの映像だったのか、そのすぐ側に倒れたらしい人の血が画面を赤く染める。
『ダメだったらっ・・・・・・はやくそこから離れて!』
 目の前の映像には音はないのに、エリシュカの声がとても遠く聞こえて、何を言っているのかよくわからなかった。そして、分割されていた画面に映し出されている映像が、次々と倒れる人達と血で広がっていくのと同じように、ボクの中で怖いがいっぱいになっていく。
 これまでボクが生活していた場所で、人が血を流して倒れている。そうやって倒れている人達のことは嫌いだった。エリシュカのことで、ついさっきまでいなくなればいいのにと思ってた。だけど今は、目の前で起こっていることが怖い。ただただ怖い。
「・・・・・・・・・・・・やだ・・・やだよっ・・・・・・こんなのやだぁ!」
 それ以上見ていることができなくなったボクは、エリシュカが閉じ込められているカプセルにすがりついた。
『大丈夫。ヨハンは私が守る。絶対に守るから・・・・・・!』
 そう言ってくれるエリシュカに頷くことしかできず震えていると、突然、部屋のロックが外れて扉が開いた。怖さと驚きが合わさってボクは飛び上がる勢いで振り返る。すると、そこには見知った顔の男の人が立っていた。その人はさっきボクにここに居ろと言った人だ。
「ちゃんと言う事を守ってくれたんだね。いい子だ」
 どうやらボクの為に駆けつけてくれたらしい。ボクは心の底からホッとした。今まで人を信じることのできず、疑ってばかりいたボクが、そんなふうに思ったのははじめてだったかもしれない。安心して、その人の所に駆け寄ろうとしたら、突然エリシュカがボクを止めた。
『ヨハン!その人はダメ!!!』
「エリシュカ、急にどうしたの?ダメってどういうこと?」
「どうしたんだい?その精霊が何か言っているのかい?」
「え、と・・・・・・」
 どう話せばいいのか困って口ごもっていると再び扉が開いた。そこに立っていたのは、侵入して来た人達だった。画面で見た通り手には筒の長い銃が握られていて、ボクと、ボクの側に立っていた人に向けられている。次の瞬間、ボクもみんなと同じようになるのかもしれない。そう考えて慌ててエリシュカの方へ逃げようとしたボクに、その人は何事もないように言った。
「大丈夫だよ。彼らは君を助ける為に来たんだ」
「助ける為・・・・・・?」
「そうだよ。お前たちも説明は受けているだろう?彼がそうだ。怯えさせる必要なない。その銃を下げてくれないか?」
 その人がボクから視線を侵入者達に向けた途端、パアンという乾いた音が響いて、その人がその場に倒れこんだ。床で呻きながらも声を荒げる。
「・・・・・・があっ・・・ど、どういう、つもりだ・・・!私は、仲間だぞ・・・・・・!」
「目的は果たした。後はすべての証拠を消すことが、我々の仕事だ」
「なんだと・・・・・・!?」
 侵入者達の言葉にその人の顔色が変わった。さっきまでの穏やかな表情は消え、青筋のたった眉間に皺を寄せ、プルプルと頬を振るわせて叫んだ。
「私を、裏切るのか!?私が・・・私が情報を与えなければ、今回の計画も上手くはいかなかった!これからは私の主導のもと、研究を進めていくという話だったはずだ・・・・・・!ここまできたのは、誰のおかげだと思ってるんだ!約束が違う!」
「我々ははじめからお前を利用していただけだ。仲間を裏切ったのはお前だ。心配するな。お前たちの研究は有意義に活用されるだろう」
「やめろ・・・・・・やめてくれぇ・・・!うわああああああああっ!!!」
 侵入者達の黒いゴーグルの所為で表情が見えなかったけれど、きっとその言葉と同じように、そこにはなんの感情もなかったに違いない。恐怖に引きつるその人に銃を突きつけ、冷酷に引き金を引いた。
 目の前のそれは液晶の画面の中で起こっていることとは、まったく別ものだった。空気と人を切り裂いた後に床に倒れこむ音。それに遅れて広がる金属と血の混じった臭い。そしてあたり一面に飛び散った赤い色。それがボクの頬も濡らしていた。
 その時、ボクの思考を占めたのは、とにかく逃げなきゃいけないということだった。足も手も震えて、気を抜くとその場に座り込んでしまいそうだったけれど、後ろのエリシュカの存在がボクの身体を突き動かした。
 精霊達とエリシュカを助けないと。ボクはそう考えてカードの並んでいるケースに向かって走り出した。視界の隅で侵入者達の一人がカードを取り出したのが見えた。そして、ケースに手が届く前にボクの耳に声が飛び込んで来た。
「ヨハンを対象に、魔法発動!」
 次の瞬間、足が固まってしまったようにその場から動けなくなる。戸惑いながらわずかに動く上半身を捻って振り返ると、コンソールのカードリーダーに1枚のカードが置かれているのが見えた。それが何のカードなのかエリシュカが教えてくれた。
『“精神操作”・・・・・・ヨハン、大丈夫?』
「うん・・・・・・でも、なんで・・・・・・?」
 「精神操作」は確か、『このターンのエンドフェイズ時まで相手フィールド上に存在するモンスター1体のコントロールを得る。このモンスターは攻撃宣言をする事ができず、リリースすることもできない。』だったはずだ。
 今までここで教えられてきたデュエルの知識が、こんなところで役立つとは思わなかった。けれど、どうしてカードの効果がボクに対して発動してるんだろう。そして、もうひとつ気づいたことにボクは呻いた。
「それにボクの名前、誰にも言ってないのに・・・・・・!」
 大人達に問い詰められた時も、誰にも知られないようにと最後まで口にしなかったのに。どこで知られてしまったのだろうと考えていると、侵入者達の中の一人が言った。
「君たちからすれば裏切り者であるその男が、すべて知らせてくれた。精霊との会話に“ヨハン”という名が出てきた、とね」
 そこでエリシュカも思い当たったように声を上げた。
『さっきの会話を聞かれていた・・・・・・!?』
「あ!」
 確かに、この混乱の直前、ボク自身がエリシュカ言った。「ボクのこともヨハンって呼ばなくていい」と。精霊の声は聞こえなくても、ボクの声は別だ。それを聞かれていたのだろうか。もしそうだとしたら悔やんでも悔やみきれない。悔しくて唇を噛んだボクを尻目に、カードを手にした侵入者が口を開いた。
「ここではデュエルモンスターズに秘められた力を、この世界で実体化させ利用することを目的に研究が行われていた。その為に、デュエルモンスターズの力を強める作用のあった、人里離れたこの場所に研究施設を作り、精霊達に人並み外れた強い影響力のある君を研究に利用していた。このシステムもその研究のひとつだ。カードの力を現実のものとして利用できる。君は何も知らされていなかっただろうがな」
 小難しい単語を使って彼らに言われなくても薄々わかっていたことだった。それでも、そうやって言葉にされてしまうと、どうしようもなく悲しくなった。
「ヨハン。君が大人しく従ってくれるなら、我々も手荒な真似はしない」
「!」
 やっぱり彼らの目的はボクなんだと震えた。むしろボク自身というよりは、ボクの持ってる特別な力が欲しいんだろう。その為なら、ここの人をみんな殺してしまうことも平気な人達だ。逆らえばボクだけじゃなく、ここにいる精霊達にも酷いことをするに違いない。それだけは嫌だ。だとしたらボクに選べることはひとつだけだった。
「・・・・・・・・・・・・エ、エリシュカを、精霊達を、自由にしてくれるなら・・・・・・」
『ダメ!ヨハン!そんなの絶対にダメ!』
 エリシュカが悲鳴に似た声を上げた。見上げると、再び涙をぽろぽろと落としている。
『その人達は、ここの人達とは違う!ヨハンのことを尊重してはくれない!目的を果たす為なら、ヨハンを苦しめることも厭わない!そんな人達のところに行くなんて絶対にダメ!』
 確かにエリシュカの言う通りだと思う。エリシュカにしたことは許せないけれど、今まで好きじゃないと感じていたここの大人達は、目の前に立っている侵入者達に比べれば、ボクのことを大切にしてくれていた。尊重してくれていた。
「それでも・・・・・・ボクにはできない。みんなを、エリシュカを苦しめたくない!だから・・・・・・!」
「さあ、ヨハン・・・・・・」
 その言葉でボクが従うことを受け入れたと判断したんだろう。侵入者の一人がカードリーダーから「精神操作」を取り除くと、身体が自由になったボクに手を差し出した。
 本当はとても怖かった。これから自分の身に起こるかもしれないことを考えると、泣いて逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。誰でもいいから助けて欲しいと思った。後ろにいるエリシュカに縋り付きたかった。
 それでもみんなを守りたくて、差し出された手をとる為にボクは震える腕を伸ばした。その時だ。部屋は眩い光に飲み込まれた。
『ダメエエエエエエエエエエエッ!!!!』
 エリシュカの叫びと共に光が広がり、彼女を閉じ込めていたカプセルも、部屋を区切っていたガラスも砕けて飛び散った。押しつぶされるとさえ感じた光が少し収まったように感じて、眩しさに閉じていた瞼をゆっくり持ち上げると、そこには見たことのない、部屋の空間を占めるほど大きな白く輝く竜がいた。息を飲んで見上げると、その竜は金の瞳をボクに向け柔らかい咆哮を上げた。そして、金色に縁取られた白銀の鱗に包まれ、その背から伸びる大きな白い翼を広げると、ボクを優しく包み込んでくれた。
「エリシュカ・・・・・・?」
 姿は違ってもボクにはわかった。これがエリシュカの本当の姿なんだって。それに答えるように白銀の竜は再び優しく嘶いた。
 辺りを見渡すと侵入者達は床に倒れ込んでピクリとも動かない。どうやらエリシュカの光に気を失ってしまったようだ。ホッとしたボク達のまわりに他の精霊達も集まって来る。
「エリシュカ、一緒に逃げよう・・・・・・!ボクは外の世界を知らないし、ボクひとりじゃ生きていけないのかもしれない。ボクには、エリシュカやみんなを守る力なんてないのかもしれない・・・・・・けど、がんばるから・・・・・・!」
 もうここにはいられない。ここに居た大人達がどうなったのかわからないし、このままここにいても侵入者達の仲間が来るに違いない。なら逃げるしかない。ボクはそう覚悟して言った。
 エリシュカは心配そうにしていたけれど反対しなかった。ボクはそんなエリシュカに抱きついた。ここの研究が良いことかどうかはわからないけど、こうやって精霊に触れることができるのはとても嬉しくて、そのことだけは感謝した。
 ここから逃げ出したら、もうこうやって触れることはできないだろうからと、しばらくその白銀の鱗の感触を味わっていると、エリシュカの身体がビクリと震えた。
「・・・・・・エリシュカ?どうしたの?」
 何だろうと身体を離そうとした次の瞬間、何かが爆発したみたいな轟音と共に、エリシュカの悲鳴が耳を突き刺し、弾かれるようにボクの身体はそこから吹き飛ばされた。嵐のような暴風と轟音の中、床に叩き付けられた痛みに耐えながら、慌てて起き上がろうとしたボクの視界に入ってきたのは、崩れ落ちた部屋の壁の隙間から見える空の裂け目だった。その裂け目はオーロラに似た光を放ちながら、辺りのものも巻き込んで、エリシュカを吸い込もうとしている。エリシュカは抵抗していたけれど、咆哮と共にその大きな身体が空に浮いた。
「エリシュカ―――――ッ!!!」
 このままじゃエリシュカが吸い込まれてしまうと、ボクは咄嗟に手を伸ばした。もちろん、それで止めることができる訳もなく、ボクの目の前でエリシュカはその空の裂け目に飲み込まれてしまう。エリシュカだけじゃない。他の精霊達もみんな一緒に巻き込まれて、空の裂け目に飛ばされてしまった。
 精霊達をすべて飲み込むと、役割が終わったかのように空の裂け目は消えて、さっきの嵐が嘘のような静寂が広がった。そこに取り残されたボクは呆然と立ち尽くしていたが、背後からの物音に振り返って気がついた。全員倒れてしまったと思っていた侵入者の内の一人が、すぐそばにあったコンソールに凭れ掛かるように立ち上がろうとしていたのだ。そしてコンソールのカードリーダーから一枚のカードが、緩やかな風に飛ばされて床に落ちる。
 そのカードは「次元の裂け目」だ。効果は「墓地に送られるモンスターは墓地へは行かずゲームから除外される」
 それを見て、ボクの中で何かがぷつんと途切れた気がした。侵入者は立ち上がり、ふらふらとボクの方へ近づいて来る。倒れた衝撃で壊れたのか掛けているゴーグルには日々が入り、ギラギラとボクを睨み付ける片目だけが見えた。手には銃が握られていて、荒い呼吸を繰り返しながらそれをボクへと向ける。
 もしかしたらその人に、ボクを撃つつもりはなかったのかもしれない。けど、その時のボクにはもう関係なかった。紛れもなく目の前にいるそいつが、エリシュカ達をどこかへ飛ばしてしまった張本人だ。それ以外はどうでもいいことだ。
「・・・・・・・・・・・・消えろ!・・・お前なんか、消えちゃえ―――――――っ!!!」
 心の赴くままにボクは叫んだ。爆発する感情をそのまま吐き出した。すると、そんなボクの望みに応えるように、再び辺りに強烈な光が放たれた。侵入者は驚き慌てて逃げようとしたけれど、あっけなく光に貫かれてその場に崩れ落ちる。
 それはボクの特別な力なのかもしれないけど、どうでもよかった。今更知る必要も感じない。だから、そのまま辺りを飲み込んでいく光を止めようとは思わなかった。もう我慢する必要はない。守りたかったものもない。ここには欲しいものもない。だから全部消えてしまえばいいと思った。
「人も、世界も・・・・・・!全部、消えてしまええええええええええっ!!!!」
 光はボクに応えてくれた。ボクの暮らしていた場所も、そこを包んでいた森も、海も、空も、光が染めて真っ白になっていく。

 そして、その光の中で、ボクは最後に願った。
 大切なものを守れないボクも、このままなくなってしまえばいい、と。






 目の奥に光の残像が残っている気がする。そう思いながら俺は目を覚ました。
 性質の悪い夢を見たと思った。俺には身に覚えのない内容だ。だからその内容に不快さを覚えても、それ以上の感情は浮かばなかった。
 そういえば自分が幼い頃の夢なんて、今まで一度も見たことがなかった気がする。なんせ幼い頃の記憶がないのだ。覚えていないことを見ることはないだろう。ということは、何に触発されたのかわからないが、やっぱりただの夢だ。
 そう結論付けて、俺は辺りを見渡す。
「・・・・・・・・・・・・ここは?」
 そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。ベッドのまわりには白いカーテンが引かれている。その様子から病室だろうということはわかった。何故こんな所で寝てるんだろうと、妙な脱力感を覚えながらも上半身を起こそうとすると、俺の動きに気づいたのか外からカーテンが引かれて、オブライエンが顔を出した。
「目が覚めたのか、ヨハン。体調に問題は?」
「いや、なんかちょっとだるいだけ・・・・・・ていうか、ここどこ?なんで俺、ここで寝てるんだ?」
「覚えてないのか?お前は研究所のデュエル場で倒れていたんだ。今朝出勤してきた研究員が見つけて、医務室に運んでくれたんだぞ」
「デュエル場・・・・・・?」
「どうしてそんなところに行ったのかは知らないが、ここの所の無理が祟ったんだろう。倒れた原因はただの疲労だと医務員が言っていた」
「そっか・・・・・・けど、なんで俺、デュエル場に行ったんだろう・・・・・・?」
 寝起きのぼおっとした頭のまま、俺は一番新しい記憶を引っ張り出した。確かハネクリボーの情報で十代の居場所を突き止めた俺たちは、救出作戦の前に休息をとることになって、俺も自分の部屋に戻ったはずだ。
 そこまで思い出して、眠ったまま過ごしてしまった時間の経過に気づいて俺は飛び起きた。
「・・・・・・・・・・・・十代・・・っ!オブライエン!今、何時だ!?」
「大丈夫だ。今は昼の2時を回ったばかりだ。計画も順調に進んでいる。今夜ここを出発する予定だ。ここで大人しく待っていろと言っても、お前は聞かないだろう。なら、せめてそれまでは休んでいろ。心配するな。置いて行ったりはしない」
 俺の考えていることはお見通しらしい。オブライエンは俺の返事を聞かずどんどん話を進めた。それでも俺の中の疑いは消えない。本当にデュエル場でぶっ倒れてたんだとしたら、俺なら置いていくという判断をしてもおかしくない。そんな思いに押されて、俺は念を押すように訊ねた。
「本当か?」
「同じ失敗をするつもりはないからな」
「同じ失敗?」
「今のお前は、あの時の十代と同じだ・・・・・・二度目の異世界での十代とな」
 オブライエンの言葉に心臓がドクンと跳ねる。
「それって・・・・・・」
「ヨハンも話には聞いてるだろう。お前は十代よりは冷静なヤツだと思っていたが、こんなふうに倒れるとはな。自分の管理ができないほど追い詰められているとは思わなかった。お前たちは似なくていい所まで似ているな」
 オブライエンにしては珍しい饒舌さの裏に、俺に対する呆れだとか、それに気づかなかった自分への苛立たしさだとかを嗅ぎ取って、少しばかり申し訳なくなった。
「わりい・・・・・・」
「だから、同じ失敗はしない。今のお前を放っておけば、ますます状況が悪くなりかねん。それならいっそ側で監視した方がやりやすい。だから心配するな。今は休んでいろ」
 言い方は乱暴だったが、俺を心配してのことだとわかったから腹も立たない。逆に、ここまで言わせて反論するのは、オブライエンに対して失礼だろうと思った。オブライエンの義理堅くて真面目なところは信頼してたから、俺は素直に従うことにする。
 すると少し落ち着いたからだろうか、眠気がどんどん強くなっていくのを止めることができなかった。
「そっか・・・いや、ホント悪い・・・・・・じゃあ、俺もう少し寝るわ。変に寝たからかな・・・なんか、すげー眠い・・・・・・」
「そうしろ。腹に物を入れた方がいいだろうが、それはもう一眠りしてからでもいい。手配しておこう」
「わかった、そうしてくれ・・・・・・」
 ベッドに横になるとすぐに瞼が降りてきた。そんな俺をそのまま眠らせた方がいいと考えたのだろう。オブライエンはそっとカーテンを潜って部屋から出て行った。
 睡魔に誘われるまま寝てしまおうと思ったが、そこでめそめそと泣く声が耳に入って来た。放っておくこともできず、俺は必死にもう一度意識を浮上させて瞼を上げる。するとすぐ側で、アメジスト・キャットが心配そうに俺を覗き込んでいた。
『よかった・・・ちゃんと目を覚まして・・・・・・』
「なんだよ、アメジスト・キャット。大げさだなぁ〜・・・・・・」
 いつも気が強くて、他の宝玉獣達を引っ張っていく勢いの彼女が、耳と尻尾を垂らし落ち込んでいた。珍しい光景だ。
『だって、あの時、私がもっとはやくヨハンに応えることができていたら・・・・・・!』
「あの時?」
『あまり自分を責めてはいかんぞ』
『アメジスト・キャットは悪くないしな』
『ルビー』
『でも・・・・・・』
「?」
 まわりに他の宝玉獣達も姿を現してアメジスト・キャットを励ましているけれど、彼女の気落ちしている理由が俺にはまったくわからない。目を丸くする俺にサファイア・ペガサスが訪ねてきた。
『大丈夫か、ヨハン』
「ああ、俺は平気だ。たぶん、オブライエンの言う通り少し疲れてるだけだ。もう一眠りすればきっと・・・・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
「なんだ?どうした?」
 何か変なことを言っただろうか。サファイア・ペガサスは少しこちらを伺った後、奥歯にモノでも噛んでいるかのようにそのまま黙り込んでしまった。どういう訳か宝玉獣達はみんな同じような顔で俺を見ている。言いたいことがあるけど、どう言えばいいのかわからない。そんなふうだ。そんな宝玉獣達にもどかしくなったのか、様子を伺っていた大徳寺先生が話を切り出した。
『ヨハンくんは覚えてないのですかにゃあ?』
「?」
『デュエル場でのことですにゃあ』
「・・・・・・そういえば、俺、なんでデュエル場なんかへ行ったんだ?」
 今朝のことのはずなのに改めて思い出そうとしても、自分がデュエル場に行った記憶なんてまったく出て来ない。倒れた所為で直前のことを思い出せないのかもしれない。宝玉獣達ならちゃんと理由を知っているはずだと「みんなも一緒だったんだろ?どうして俺はデュエル場に行ったんだ?」と訪ねてみたのに、みんな『それは・・・・・・』と言ったきり口籠もってしまう。
 そんな只ならぬ様子に、さすがに眠気が引いてきた。
「どうしたんだ・・・・・・?もしかして、俺、なんか大切なこと忘れて・・・・・・つっ」
 もう一度、今朝のことを思い出そうとした俺は、突然神経を弾かれたような頭痛に襲われ身体を強張らせた。考えようとすると痛みが走って思考の邪魔をする。思わず頭を抱えて呻く俺に大徳寺先生や宝玉獣達が慌てふためいた。
『ヨハンくん!大丈夫ですかにゃあ!?』
「・・・・・・平気だ、ちょっと頭痛がしただけ・・・きっと、少し眠れば治まるから・・・・・・」
『ルビィ〜・・・・・・』
 考えることを諦めてベッドに横になった途端、引いていた眠気がぶり返して思考を飲み込んでいく。宝玉獣達からちゃんと話を聞いて考えないといけない気がするのに、俺はそのまま睡魔に負けてしまった。



 痛みから解放されたからだろう。規則正しい寝息を立てて眠りについた穏やかな表情のヨハンを囲んでいた宝玉獣達と大徳寺は、溜息が漏れるのを止めることができなかった。
『どうやら、ヨハンくんはあのデュエルのことを、忘れてしまっているようですにゃあ・・・・・・』
『無理もない・・・・・・あの時、レインボー・ドラゴンが身を挺して守っていなければ、すべての記憶を消されていた可能性もある』
 ヨハンがアルビノと呼んだ、姿を模した謎の存在の力は強力なものだった。それは三幻魔や三幻神にも勝る力だ。デュエルに負けたあの時、虹龍がいなければ本当にすべてのことを忘れてしまっていたかもしれない。それを踏まえればアルビノとのデュエルの記憶を失っただけで済んで、不幸中の幸いだったと考えるべきなのだろう。だが、宝玉獣達は素直に喜ぶことができなかった。アルビノについてだけでなく、今回のことではわからないことが多すぎる。
『肝心のヨハンくんがこれじゃ、話を聞けそうにないですにゃあ・・・・・・これからどうするつもりですかにゃあ?』
『ヨハンは我々の家族だ。アルビノとの関係ははっきりしないが、二人の話から察するに、今回の件にかかわっていることは確かだ。おそらく今後の十代の救出も邪魔してくるだろう。だが、どんなことがあってもヨハンは守る。宝玉獣として、家族として当然のことだ』
 宝玉獣達は顔を見合わせて頷いた。宝玉獣達にとって何があってもそれだけはかわらない、絶対のことだった。






 赤い非常用ランプが廊下を照らす中、そこを走り抜けていたヨハンは、角の手前で立ち止まろうとして足を滑らせた。
「おわっ・・・・・・!」
 バランスを崩してそのまま後ろに腰を落としてしまいそうになったが、寸での所で手を突いて持ち堪える。足元にいたファラオが驚いて「にゃあ!」と鳴いて飛び退いた。
 もともと人が全力で走ることを想定していない研究棟の廊下は、清潔さを基準に加工されているからだろう上手くグリップが効かなかった。とはいえ、目的を果たす前に怪我でもして、足手纏いになったとしたら情けない。
 後ろをついて来ていた三沢に「大丈夫か?」と声を掛けられて、俺は頭を掻きながら苦笑いを浮かべるしかない。
「あはは、勢い余って滑っちった」
「気合が入るのはいいが、力み過ぎるなよ」
 集団の最前で角の先に誰も居ないことを確認してから、オブライエンは俺を振り返りつつそう言った。
「わかってるって」
 何事もないように俺はそう応えたが、実際はこれまでに感じたことのない違和感に襲われていた。デュエル場で倒れたあの日から、何かがおかしいのだ。
 これはただの疲労じゃない。他に理由があるはずだ。そう感じながら具体的に何がおかしいのかがわからない。まるでボタンを掛け違えてしまっているような感覚に、これまでになく精神的にも肉体的にも絶不調だった。
 そんな俺を突き動かしていたのは、他でもない十代だ。ハネクリボーとユベルから聞いた話じゃ、十代はもっとつらい状況で耐えてるはずだ。そう考えるとじっとなんてしてられない。違和感なんてどうでもいいことだ。十代を救い出す。その想いだけが俺を動かしていた。
 そんな俺とは裏腹に、十代の救出作戦は計画通りに進んでいた。上手く行き過ぎて、これも罠なのではないかと心配になるほどだ。
 しかし、それも杞憂だった。それなりの抵抗があるとは予想していたが、そこにいた研究員達はまともな状態じゃなかったのだ。おそらく何者かに操られているのだろう。俺達の前に立ちはだかったところで、自我のない人形のような奴等じゃ、オブライエンを含め、鍛えられた傭兵達に適うはずがなかった。
 あっと言う間にメインブロックを制圧してしまうと、傭兵達の大半は研究員の保護に当たらせ、当初の計画通り、システムを停止させる為にコントロールルームに三沢とオブライエンが残り、俺と数人の傭兵達で十代が捕まっているらしい地下フロアへと向かった。
 どうやら操られている研究員の妨害も、メインブロックに限られていたらしい。そこから先に人の姿はなく、もしかしたらこのまま邪魔も入らず、十代の元へ辿り着くことが出来るのではないかと思い始めた頃だった。飛び込んできた突然の光に目が眩んだ。
「これは・・・・・・っ!?」
「うわあああっ!」
 思わず身を竦めて、手の甲を翳して視界を覆ったのは一瞬だった。だが、その一瞬のうちに事態は急転する。一緒に進んで来た傭兵達が、次々とその場に倒れこんでしまったのだ。
「おい、大丈夫か!?」
 光の残像が視界に残る中、慌てて側に倒れた傭兵の様子を窺うが、みんなすでに意識を失ってしまっていた。状況を判断する間もなく、すぐ側に現れた知った気配にぞわりとした感覚が身体を駆け抜けた。
『まったく・・・・・・お前は、呆れるくらいしぶとい上にしつこくて、ちょっと羨ましいくらいだ』
「お前・・・・・・!」
 そこには当然のような顔をしてアルビノが立っていた。今の光から逃れることができたらしいファラオが、俺の横で毛を立てて警戒している。すぐに宝玉獣達が姿を現し俺を守るように囲んだ。みんな敵対心を剥き出しにしてアルビノを睨みつけている。
『ルビー!』
『下がっていろ、ヨハン!』
『今度はヨハンに手出しさせないんだから!』
 いきり立つ宝玉獣達に戸惑っているのは俺だけで、アルビノはやれやれと頭を振って、呆れたような、だけど少し悲しそうな顔をした。
『お前達も懲りないよな。どうしてこいつを止めなかった?あの時、何の為に俺がわざわざ足を運んだと思ってるんだ』
『よくもぬけぬけと・・・・・・!ヨハンにあんなことしておいて、私たちが許すと思ってるの!?』
『だからぁー、ああでもしないとこいつ止まらないだろ?まぁ、レインボー・ドラゴンに邪魔されちゃったけどさ。邪魔されたっていえばお前達もそうだ。いい加減に目を覚ませよ。いつまで寝ぼけてるつもりだ?』
 両者のやりとりに俺は唖然とした。何の話をしているのかさっぱりわからないが、どう考えても互いに顔見知りだとしか思えない。
 アルビノのことを宝玉獣達に話した覚えはないのに、どういうことだろう。宝玉獣達に知られることを嫌がっていたのは、やっぱりもともと何か因縁でもあってのことだったのだろうか。
 そんな疑問を口にしようとしたが、宝玉獣達のやりとりを聞いていたのだろう大徳寺先生が、ファラオの口の中から慌てて飛び出してきて、俺より先に側にいたトパーズ・タイガーに訊ねた。
『い、いったい、どういうことですかにゃあ?』
『俺たちに分かる訳ないだろ?』
『我々を惑わそうとしても無駄だぞ!』
 アルビノに反論する宝玉獣達は明らかに動揺している。どうやらアルビノの存在は知っていたようだが、話は理解できないようだ。
 混乱している俺達を眺めながら、最初は飽きれを含んでいたアルビノの視線が、急速に冷えていくのを感じた。
『器との家族ごっこにハマっちゃったのか?レインボー・ドラゴンといい、お前達といい、どこまで俺をがっかりさせれば気が済むんだ。ああ、もう面倒だな〜・・・・・・本当イラつく・・・・・・』
 俺だけじゃなく、宝玉獣達も同じように感じていただろう。緊張感が高まって身構えた次の瞬間、俺の目の前にアルビノが現れた。一気に距離を詰めたアルビノはその顔を寄せて来る。
 互いの額に触れるんじゃないかと思うほど近くにアルビノの顔がある。視界いっぱいに見えるのは、あの見慣れた赤い瞳じゃなくて、どこを見てるのかよくわからない白銀の瞳だ。見開かれた白銀の瞳が鏡のように俺のエメラルドの瞳を映していて、気がつくと、俺はその瞳から目を離すことが出来なくなっていた。
『そうだよな。他のヤツらは、お前がすべて思い出してからでも遅くないよな・・・・・・!』
 まるで鏡にうつった自分を見ているような気分になった。それはただ、視点が異なる所為でまったく別のものだと思ったただけで、実は他の誰でもない自分の姿だった。姿だけじゃない。その肉体に宿る心も同じだ。本当は、1枚のカードのように表と裏という違いでしかないように思えた。
 やがて鏡のような境界線が消え、どちらが自分なのかわからなくなって、俺とアルビノが溶け合いはじめる。肉体も精神もひとつに混ざってしまう感覚に襲われたその時、獣の咆哮と共に七色の光が飛び込んできた。
 俺とアルビノを隔てていた薄い鏡が割れて砕け散ると、途端に、拡散しようとしていた自分という認識が収束する。
『ヨハン!』
 宝玉獣達の俺を呼ぶ声に意識が引き戻されて、頭上から降り注ぐ優しい光に気づいて見上げると、そこには虹龍の姿があった。俺をアルビノから守ってくれたらしい。虹龍に弾き飛ばされたのか、少し離れた場所から俺達を見ていたアルビノは、虹龍を見るとほんの一瞬だったがその顔を歪めた。
『どうしても、俺の邪魔をするんだな・・・・・・』
 これまで見た中で、一番辛そうな、今にも泣き出しそうな顔だった。けれど、アルビノは再び冷たい無表情を被ってしまう。
『・・・・・・まぁいい。十代の所に行けよ、ヨハン。俺もそこにいる・・・・・・』
「アルビノ・・・・・・ッ!」
 俺の制止を無視して、アルビノは光の粒になって姿を消してしまった。
 アルビノの気配が消えたことを確認して虹龍も姿を消すと、宝玉獣達が慌てて集まってくる。
『大丈夫、ヨハン』
『肝が冷えたぞ・・・・・・またレインボー・ドラゴンに救われたな』
『我々の力が足りないせいで、ヨハンを再び危険な目に合わせてしまった。すまない・・・・・・』
『ルビー!』
 ルビーはいつものように俺の肩に登ろうとした。けどそこで俺は思わず身を引いてしまった。俺の反応にルビー達は戸惑っていたけど、その時の俺には宝玉獣から向けられる優しさが痛かった。
『ルビー・・・・・・?』
『ヨハンくん、どうしましたにゃあ?』
「・・・・・・思い出した。俺はアルビノに、デュエルで負けたんだった」
 俺の告白にみんな固まってしまう。きっとアルビノとのデュエルを思い出して、どう声を掛ければいいのか気を遣ってくれているんだろう。気まずい雰囲気に俺の胸はますます痛んだ。
「気を遣わせちまってゴメンな・・・・・・!力が足りなかったのは俺の方だ・・・・・・今、起こってる事態はすべて、アルビノを止められなかった俺の所為だ・・・・・・本当にすまない・・・・・・!」
 アルビノと接触したことがきっかけになったようだが、思い出してしまったことから目を背けることはできない。そして、アルビノから向けられた憎しみに身体が震えた。あんなふうに俺のことを憎んでいたなんて思いもしなかった。しかもその憎しみが、俺だけじゃなく十代にも向いてしまったのだとしたら、アルビノはもちろん、俺は俺自身も許せないと思った。
「だからこそ、十代は必ず俺が救い出す・・・・・・!アルビノは俺が止めてみせる、どんなことをしても・・・・・・!」
 俺は拳を握り締め覚悟をした。アルビノと決別し、決着をつける為に戦う覚悟を。今まではどれだけ反目していても、心のどこかでアルビノに対する甘えがあった。いつかまた理解し合える日がくるかもしれないと。もう一度、幼い頃のように共に居ることができるんじゃないかと。
 けど、どんな理由があったとしても許しちゃいけないことがある。今、アルビノが引き起こしてることは、絶対に許しちゃいけないことだ。そしてアルビノのことを思うなら、俺が止めなきゃいけない。そう自分に言い聞かせて重い身体を気合で奮い立たせた。
 そんな俺を黙って見守っていた大徳寺先生が、少し気まずそうに口を開いた。
『・・・・・・ヨハンくんが、アルビノと呼んだ“彼”のことで、知ってることを教えてくれますかにゃあ?』
『我々も知りたい。彼はヨハンとどんな関係があるのか』
『私たちも、何か力になれるかもしれませんのにゃあ』
 みんなの不安が見え隠れする視線が俺に集中する。当然だと思った。俺が逆の立場で、このまま何も知らされないとしたら、不安にならないはずがない。
「そうだな・・・・・・約束したもんな。ちゃんと説明するって・・・・・・」
 俺は今まで黙っていた罪悪感に襲われながらも、アルビノについて知ってることを話した。物心ついた頃からアルビノと一緒だったこと。幼い頃、アルビノと一緒に施設を転々としていたこと。宝玉獣と出会った後、アルビノから口止めされていたこと・・・・・・。
 ただし、それらはアルビノの正体を明かすことのできる情報じゃないことは、俺が一番よくわかっていた。宝玉獣達同様、俺もアルビノのことを何も知らない。俺はそれを素直に話した。宝玉獣達はそれを静かに聴いていた。
「結局、俺もアルビノが何なのかよくわからないんだ・・・・・・説明するなんて偉そうに言っておいて、こんな話しかできなくてゴメン・・・・・・」
 どうして今まで話してくれなかったのかと、責められても仕方がないと思った。だが、重苦しい沈黙は長くは続かなかった。ふっと緩む気配に顔を上げると、そこには宝玉獣達の穏やかな顔があった。
『いや。話し難いことをよく話してくれた。ありがとう、ヨハン』
『経緯はよくわかった。ヨハンが自分を責める必要はないぞ』
『心配しないで。私たちは何があっても、ヨハンの味方よ』
『そうだぜ、ヨハン』
『ルビビー!』
「みんな・・・・・・ありがとう・・・・・・!」
 俺の過去も、嘘も、許し受け入れ許してくれた宝玉獣達に、俺は感謝する他ない。俺たちのやりとりを見守っていた大徳寺先生も安堵した様子だったが、すぐに難問を思い出してその顔を曇らせる。
『どちらにせよ、十代くんを助けるには、もう一度、彼と向き合う他ないようですにゃあ・・・・・・』
 俺の話に、アルビノに対応し得る何かしらの術を、見つけることができるんじゃないかと期待していたのだろう。正面から立ち向かうしかないと悟って、大徳寺先生は大きな溜息をついた。



 眠ったままの傭兵達はその場に置いて行くことにした。無理やり起こして連れて行くことの方が危険だと思ったから。何より、これ以上十代をアルビノの側に置いておきたくなくて、俺は十代の元へ向かう足をさらに速める。
 そんな俺達を邪魔するものは誰もいなかった。俺と同じく、アルビノもここで決着をつけるつもりなのだろう。
 ユベルとハネクリボーの協力で、入手した情報通り、中枢機関の最下層に十代は囚われていた。いや、システムのひとつとして、部品のように繋がれていたといった方が正しい。その扱いに、どうしてこんな酷いことができるんだろうと、怒りと共に吐き気がした。
 そんな十代の側にアルビノの姿があった。
 アルビノは光を帯びた冷たい目を向けながら、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるように言った。
『完全にシステムを停止させるとか言ってたけど、本当にいいのかなぁ〜?そんなことして。今そんなことしたら十代は本当に死ぬぜ?』
「俺は、お前の言うことなんか信じない・・・・・・!」
 反論というより、自分に言い聞かせるように俺は叫んだ。わずかでも隙を見せたら絆されてしまいそうで、そう叫ばずにはいられなかった。そうやってアルビノを睨み付ける俺を止めたのは、後ろに隠れていた大徳寺先生だった。
『ヨハンくん、待って下さいにゃあ!』
「大徳寺先生?」
『どうやら十代くんに関して、嘘は言ってないようですにゃあ。私が見てわかる範囲ですが、確かに十代くんとこのシステムは、かなり高い同調率にあるようですにゃあ。このまま切り離してしまうのは、とても危険だと思われるのにゃあ・・・・・・!』
 大徳寺先生の指摘をアルビノは鼻で笑いながら否定した。
『同調?いや、違うな。すでに俺と十代はひとつの存在なのさ』
「くっ・・・・・・!」
 もし、アルビノや大徳寺先生の言うことが本当だとしたら、単純に十代をここから連れ出せば済む問題じゃないってことだ。下手をすれば、十代をますます危険な状況に追いやってしまう。俺の迷いにアルビノは満足げに笑うと、その視線を機械に繋がれたままの十代に向けた。
『可哀想な十代・・・・・・ずっと、ずっと待ってたのに、頼りにしていた相手はこの程度なんて・・・・・・でも、これでよくわかっただろう?結局、お前の横に立つ資格のあるヤツなんて、俺以外にいやしないんだ』
「・・・・・・・・・・・・っ!」
 アルビノの人を見下す言動に、十代の瞳に怒りが宿った。挑むようにアルビノを睨むと、次の瞬間、金属の大きな動作音と共に十代を拘束していた枷や多くの管が外れる。吐き出されるようにそのまま床に落ちそうになった十代を、俺は咄嗟に受け止めた。
「十代!」
『・・・・・・・・・・・・お前・・・っ!』
 自らの意思でその枷を外した十代に、さすがに驚いたのかアルビノはその顔を歪めた。
 十代を受け止めた俺は、すぐ側にあった上着を着せてやりながら、掴んだ肩や腕の細さに泣きたくなった。十代がこんな目に合った原因に自分が関わっているという事実は、俺を打ちのめすのに十分だった。
 そんな俺とは裏腹に、腕の中の十代の瞳には、今までと変わらない前をまっすぐ見据える強い意志が宿っていて、俺は敵わないなと見惚れた。
「まったく・・・あいかわらず無茶しやがって・・・・・・!これじゃ、何の為に俺がここに来たのか、わかんねえだろうが・・・・・・!」
 俺の言葉に十代はニッと笑ってみせた。だが、それが限界だったようだ。ふっと十代の身体から力が抜けてしまう。
「十代・・・・・・十代!」
 名前を呼んで、抱き寄せたその青白い顔を撫でるが反応がない。身体は冷たく呼吸も浅くて遅い。その様子に恐怖が沸いてくる。十代は本当に死の淵に立たされている。今すぐ適切な手当てをしないと、本当にこのまま十代を失ってしまうかもしれない。
 アルビノとの決着を考えていたが、十代の命には代えられない。そう判断したその時、俺と同じ声でアルビノが叫んだ。
『・・・・・・どうして・・・っ!お前を満たしてやれるのは、俺だけなのに!』
 血を吐くように叫んだアルビノの表情は、虹龍を前に一瞬だけ見せたものと同じだった。けれどもうさっきのように、その顔を、感情を、隠そうとはしない。何もかもが信じられなくて、嫉ましくて、憎らしくて、なのに自分ひとり置いていかれることが怖くて、寂しくて、悲しい。そんな、少し子供じみた顔に見えた。その瞳には涙はなかったけど、きっと心の中じゃ泣き喚いているんじゃないだろうか。
『そんなにもそいつがいいって言うなら・・・・・・俺が今すぐ、全てを消し去ってやる!!!』
 アルビノの叫びと共に、空間がビリビリと震える。これ以上は耐えられないと、大徳寺先生は『ひぇええええっ』と悲鳴を上げてファラオの口の中に飛び込んだ。
 殺気を漲らせるアルビノから、どう切り抜けるか思案する俺の前に宝玉獣達が現れた。
『行け、ヨハン!』
「みんな!でも・・・・・・っ」
『我々が時間を稼ぐ!十代を連れて先に行くんだ!その為にここに来たのだろう!?』
 俺を振り返ったサファイア・ペガサスがそう叫んだ。これ以上、宝玉獣達を危険に晒したくない。けれど十代を抱えることでいっぱいの俺には、みんなの力を借りるしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・わかった!頼むぜみんな!」
 迷いを振り切るように俺がそう答えると、それを合図に宝玉獣達は一斉にアルビノに襲い掛かった。同時に、俺は十代をしっかり抱えてその場から脱出する。
 前を進むファラオの後を追いながら、できる限り十代の負担にならないようにと、気を遣って足を進めていたが、それでも今の十代にはキツイのだろう。息を詰めて苦痛に耐えているのがわかってつらい。ほんの少しでも十代の負担を軽くしようと俺はルビーに呼びかけた。
「ルビー、頼む!」
『ルビィー!』
 十代の肩に乗ったルビーは、ユベルから預かった黒い宝石を銜えている。それに気づいたのか、十代はほんの少し瞼を開いた。
「ユベルから託された力だ。頑張れ十代、ユベルもハネクリボーと一緒に待ってる・・・・・・!」
 十代を励ましながら足を進めてまもなくだ。背後から宝玉獣達の引き裂かれるような悲鳴が響いてきて、思わず身体が硬直した。
 もし、今、腕の中に十代がいなければ、たとえその先に死が待っていたとしても、俺は引き返して宝玉獣の側で共に戦うことを選んだだろう。しかし、彼等の信頼に応える為にも、今は先に進むべきなんだと自分を叱咤して、俺は振り返らず、止まりそうになる足を必死に動かし続けた。



『・・・・・・ホント、懲りないヤツらだぜ』
 フロアのあちこちに宝玉獣達が倒れている。それを冷めた目で見ていたアルビノは、そう吐き捨てた。
 信頼という名の絆で繋がり、敵わないと知りながら、それでも大切なものの為に命を張ることを厭わない。家族と呼んで憚らない存在。そしてそんなアイツを、奇怪な目で見る所か、頼りがいのあるヤツだとさえ思い信じている仲間達。
 どうしてアイツは、俺がどれだけ望んでも得られなかったものを、当然のような顔をして全部持ってるんだろう。
 これまで俺が導いてきてやった違いだけとも思えない。冷え切った思考の隅で、何度繰り返したかわからない疑問を、もう一度引っ張り出してなぞりながら、フロアを後にしようとした俺を制止する声があった。
『・・・・・・ヨハンの後は、追わせない・・・・・・っ!』
 俺の攻撃をまともに食らって動くこともままならないだろうに、サファイア・ペガサスはそう言って必死に立ち上がろうとしていた。
 その姿に苛立ちが一気に爆発する。
『・・・・・・はあ・・・・・・本当に潰されちまわないと、わからないのかなぁ・・・・・・!』
 いっそ世界から存在そのものを消してやろうと思ったその時、虹龍が姿を現し、立ちはだかった。てっきりヨハンについて行ったとばかり思っていたが、やはり宝玉獣達を放っておくことができなかったのだろう。
『レインボー・ドラゴン・・・・・・!・・・・・・アハハッ・・・・・・そうだよな。レインボー・ドラゴンはアイツを選んだんだ・・・俺を許すはずがないよなぁ・・・・・・!』
『・・・・・・違う!もう、止めて・・・・・・!!!』
 それは久しぶりに聞いた虹龍の声だった。けれどアルビノは止めなかった。数え切れない数の光の鎖が襲い掛かり、宝玉獣達と虹龍を絡めとる。虹龍が悲鳴を上げるが、締め上げる手は緩めない。このまま力尽くで自分に従わせてやるつもりだった。きっとそれを知ったヨハンは、怒り狂い、絶望するだろう。
 けれどアルビノの心はちっとも晴れなかった。一度失くした後、自分で決めて捨てたのに、再び自分の下に戻って来たそれに、アルビノはどうしようもなく泣きたい気分になった。



 後ろ髪を引かれつつも十代を抱えて前へ進んでいたのは、ほんの少しの時間だった。俺は進んでいた足を止めた。宝玉獣達が足止めしているはずのアルビノが、壁を透過して目の前に現れ、立ちはだかったのだ。
『・・・・・・まさか本気であいつら如きが、俺を足止めできると思っていたのか?だとしたら、愚かにも程があるぜ』
「お前・・・・・・みんなをどうした!?」
 食って掛かった俺を往なすように姿を消すと、次の瞬間には背後からアルビノの声が飛んで来る。
『宝玉獣達は主を間違えた・・・・・・いや、この時のことを見越していたのかもしれないな。いずれ俺の下に降るいうということを・・・・・・!』
 慌てて振り返った俺の視線の先に入ってきたのは、アルビノとその背後に佇む具現化した宝玉神レインボー・ドラゴンの姿だった。その身体には光の鎖が絡みつき、七色の光を湛えた宝玉は全て白銀の光を発していた。説明などなくとも、それだけでアルビノに操られていると知るには十分だった。
 勝ち誇ったアルビノとそれに従う虹龍に、俺は身体が震えるのを抑えることができなかった。
「レインボー・ドラゴン・・・・・・!?そんな・・・・・・っ!」
『お前は何も手にすることはできない。家族も。腕の中の愛する者も。せめてもの俺の愛だ・・・・・・愛する家族の光の中で消えるがいい!!!』
 アルビノに操られ虹龍は咆哮を上げた。それは悲鳴だ。虹龍の嘆きの声だ。空間を震わせる叫びと共に、俺と十代に向かって虹龍は強烈な光を放った。
 眩い光に目を焼かれながらも、十代を庇おうと抱きかかえた俺に強烈な衝撃が襲う。その場から吹き飛ばされると思ったのもつかの間、次の瞬間、轟音が聴覚を掻き消してしまった。
 虹龍の攻撃で、少しの間、意識が飛んでいたんだと思う。俺は床に倒れていることに気づいた。目も耳も膜が張ったみたいにすべてが遠くて、身体も空を浮いているような感覚で現実感がない。けれど霞む視線の中に零れ落ちる赤い雫を、血だと認識した途端、麻痺していた感覚が一気に蘇ってきた。
 ボタボタと降って来る血が床に血溜まりを作り、俺の目の前に立っている白い足を濡らしていた。赤い色につられるように見上げると、腕の中にあった筈の十代がアルビノと向かい合っていた。そこにはもう虹龍の姿はない。
「・・・・・・・・・・・・じゅう、だ・・・?」
 俺の声は情けないくらい小さく掠れて震えていた。そんな声でも届いたのだろうか、十代は振り返ろうとしたが、そのまま崩れ落ちるように身体が傾いていく。俺は反射的にそこに飛び込みその身体を受け止めた。十代のクッションになって全身を床に打ち付けたが、痛みはまったく気にならない。慌てて十代を抱き起こし名前を呼ぶと、十代はそれに応えるように瞼を薄く開いた。けれどその口から出てきたのはあの心地良い声じゃなくて、真っ赤な血ばかりだった。
「しっかりしろ、十代!・・・・・・十代っ!!」
 どんどん溢れてくる鮮血に咽る十代に、俺は咄嗟に口付けて血を吸い取ってやるが、それぐらいじゃ間に合わず、十代の着ていた服が鮮血で染まっていく。
 十代を救うために来たのに、焦るばかりで何もできない自分に悔しくて涙が出てくる。やがて強張っていた身体から力が抜けると、今までどんなことがあっても、強い意志を宿していた瞳が、力を失くして虚ろに空を彷徨いはじめた。
『・・・・・・このままじゃ、十代は本当に死ぬぞ』
 何の感慨もなさそうに眺めていたアルビノの言葉に、引き攣る喉を無理矢理動かして俺は叫んだ。
「十代は死なせない!何があっても、どんなことをしても、絶対、死なせるもんか・・・・・・っ!」
 アルビノへの反発心で、恐怖で止まりそうになっていた思考が再び回り出す。今すぐI2社に連絡して向かえば、きっと助かる。助けてみせる。自分にそう言い聞かせて、十代を抱き上げようとした俺に、アルビノが白い目を向けながら、『間に合うのかなぁ?それに、お前は重要なことを忘れてる』と言った。
『肉体の死を免れたところで、その魂を身体に縛り付けておくことはできない。これまでその役割を果たしていたユベルも、今は衰弱しきっていて役に立たないだろうし。どっちにしろ先は見えてる。どうするのつもりなのかなぁ?』
 頭に登った血が一気に下がっていくのを感じた。俺には問題を解決する手立てがない。力もない。それは俺の把握している限りI2社やKCでも同じことで、このままじゃアルビノの言う通り十代を失うことになるのだ。
 そう思った途端、再び噴出する恐怖に思考を掻き乱されて何も考えられなくなる。情けないくらい混乱して、ぐらぐらと揺れる俺の視界の中で、十代はその現実が嘘みたいに微笑んだ。それは、異世界で身につけたらしい斜に構えた笑みじゃなくて、はじめて出会った頃の純朴な笑顔だった。
「・・・・・・・・・・・・十代・・・?」
 十代は血を吐きながら何かを必死に伝えようとしていた。けれどそこに声はなく、俺は口の動きを必死に追う。
「だいじょうぶ?」「しんぱいすんな?」「ありがとう?」
 いつもなら目を合わせただけで、何を考えているのかすぐにわかったのに、十代を染めていく鮮血に心が乱されてよくわからない。何て言ったのか聞き直そうか、それとも、もうこれ以上喋るなと止めるべきなのか、ほんの僅かな時間だったはずだ。その僅かに悩んだ内に、十代の口元は止まってしまった。気がつけば、さっきまで俺を映していた瞳はすでに瞼に隠されている。
「・・・・・・十代?・・・十代っ・・・・・・じゅうだい!!」
 何度も名前を呼んで、抱いた肩を揺らし、頬を撫でる。しかし十代に反応はない。閉じてしまった薄い瞼も、力のなく投げ出された細い腕も、俺の呼びかけに応えてくれない。
 これまでずっと必死に考えまいとしていたことが、目の前で起きようとしていた。この先にあるのは十代の居ない世界だ。俺は置いて行かれた世界だ。
 それが俺の中に残っていた、なけなしの冷静さを奪うのには十分だった。息をひゅっと吸い込んで、俺は喉の奥で声にならない悲鳴を上げた。
『・・・・・・俺がすべて解決出来る、良い方法を教えてやろうか?』
 悲鳴の隙間に入り込むようにアルビノが呟いた。その声につられて見上げると、いつの間にかすぐ側でアルビノは見下ろしている。
『何もわざわざ時間をかけて、十代を運ぶ必要なんてない。ここの施設とシステムと俺の力を使えば、十代を救える・・・・・・!』
 アルビノの示唆することを理解して、心臓がバクバクと痛いくらい強く脈打ち出した。確かにアルビノの言う通りにすれば、今からI2社に向かうより確実に十代を救える可能性が高いだろう。
 けれど、心が、身体が、それを拒否した。この事態を引き起こした張本人の提示に従うなんてプライドが許さないし、何より、たとえそれで十代を救えたとしても、十代が喜ぶとは思えない。
『どうする?迷ってる時間はもうないぜ?このまま十代を死なせるのか?』
「・・・・・・・・・・・・っ」
『そんなの嫌だよな。十代が目の前から消えちゃうなんてさ・・・・・・!』
『気合でどうにかできる状況じゃないってのは、さすがに甘い思考のお前にもわかるだろう?』
『お前が選択さえずれば、そんな状況を一変させることができるんだぜ?』
『なぁ、簡単なことじゃないか。俺の手をとれよ、ヨハン』
 俺の心の隙を窺うように言葉を投げかけ続けたが、耳を塞ぎ拒否する俺に痺れを切らしたのか、アルビノは攻め方を変えてきた。
『何を迷うことがある。もともと俺達はひとつだったのに・・・・・・!』
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!俺は、俺は・・・・・・っ!!!」
 アルビノの言葉を俺は叫び声を上げて掻き消そうとした。だけど打ち消そうとすればするほど、俺の中でそれは強く浮かび上がってくる。それは、一度はアルビノの力によって消された・・・・・・いや。もしかしらた俺自身が一番消したくて、消したのかもしれない真実だ。その光景が強制的に浮かび上がってくる。


 がら空きの俺のフィールド。その前には、アルビノが従えるライトロード・ドラゴン・グラゴニスと裁きの龍。思わず零れ落ちた俺の疑問に、アルビノが冷酷に答える。
「アルビノ・・・・・・お前はいったい、何なんだ・・・・・・?」
『まだわからないのか?俺は、お前だ。お前が苦しみから逃れる為に、あの光の中で捨てた、お前自身なんだよ・・・・・・!』


 アルビノは俺であり、俺はアルビノである―――――あの時はどうしても信じたくなくて、その言葉を自分の中に留めることさえ拒否したが、それは自然で破綻のない事実だった。だがその事実は、俺の心を確実に砕いていく。
『俺はお前。お前は俺・・・・・・ただ元に戻るだけじゃないか』
「それでも、俺はっ・・・・・・!」
 アルビノが突き付けてくる真実が恐ろしくて、俺は抱きしめた十代に顔を埋めた。
 自分にとって都合の悪いことはすべて忘れた俺を、すべてを知った上でずっと側にいたアルビノ・・・・・・。
 何も覚えていないことに胡坐を掻いて、自分の望むように生きている俺を、側で見てるしかないアルビノ・・・・・・。
 元々ひとつのものだったからか、アルビノの憎しみや苦しみが手に取るようにわかった。それが理解できるからこそ、その事実は恐ろしく受け入れがたいものだった。そんな俺の苦痛もアルビノには筒抜けで、すべてを思い出した後も未練がましく真実から逃れようとする俺に、彼は楔を打ち込んだ。
『ふうん・・・・・・それじゃあ、十代のことは諦めるんだ。何があっても、どんなことをしても、十代は死なせないってのは口だけだったんだ。お前の十代への想いなんて、そんな程度だったんだ・・・・・・!』
 そうだ。俺が言ったことだった。何があっても、どんなことをしても、十代は死なせないって。なのに俺は今、自分の真実に怯えて逃げようとしている。十代への潔癖さを口実に、何の役にも立たないプライドや弱い心を守ろうとしてる。そんなもんじゃ、今の俺には十代は救えないとわかっているのに。
 腕の中の重みを確かめるように、忘れないように、俺は力を込めて十代を抱きしめた。
 傷つくことを恐れて逃げ出すなんて、俺の十代への想いはそんな程度だったのかと、自問自答する。もし、本当に十代の為に何でもすると言うなら、アルビノを受け入れるべきだ。苦しみも悲しみも憎しみも全部受け入れて、その力を利用してでも十代を救うんだ。十代を救えるんだ。十代を救う為なら、俺は・・・・・・!
「俺、は・・・・・・っ」
『さあ、ヨハン・・・・・・!』
 ゆっくりとアルビノが俺に手を差し出した。それはいつか見た大人と同じ、嘘吐きの手だと知っていた。それでも俺は差し出されたその手を掴んだ。



 重い瞼をゆっくり開くと、腕の中に血に濡れた十代の顔がある。血を失い過ぎたのだろう真っ白な顔に、赤が好きだと豪語するだけあって真っ赤な血が栄えて美しかった。腕にかかる重さにぎゅっと力を込めて十代を抱きしめる。血の匂いを感じながら、口内に残るその味に思いもよらず嬉しくなった。
「十代の身体・・・・・・血の匂い、味・・・・・・ははっ・・・!」
 今、俺は確かに肉の身体を持っている。それがこんな深い喜びを俺に与えるとは思いもしなかった。それどころか重荷にしかならないとさえ考えていた。こんなことなら、もっと前にヨハンを取り込むなり追い出すなりして、身体を取り戻しておけばよかった。そうすれば、十代のやわらかい肌やこんな甘い匂いに、もっとたくさん触れることができたのだ。勿体無いことをした。
 そして、あんなヤツがこの感覚を独り占めしていたのかと思うと、ますます腹が立った。今は心の奥底に閉じ篭っている、どうしようもない片割れに毒づいてやった。やっぱり何も持たないお前なんかじゃ、十代の相手には役不足だって。
「絶対に死なせない。どこにも行かせない。逃がさない。十代は俺のモノだ・・・・・・」
 力の抜けた十代の身体を抱き上げた俺の前に、虹龍が現れた。そして、その白銀の巨体が光の粒になり、再び集まると少女の姿を模る。
「エリシュカ・・・・・・」
 その人が次元の狭間に飲み込まれたあの時、もう二度と会うことができないと絶望した。もう何もいらないと思った。自分の命さえも。それは何も知らない幼子の浅はかな考えだったのだろうが、光の中ですべてを知った後もその気持ちは変わらなかった。今でもそれは変わらない。俺なんていらない。世界なんていらない。
 けれど、もう一度彼女に会いたいと思わなかったと言えば嘘になる。たとえ、こんな形でもだ。
「まだ、邪魔するのか?」
『どうして・・・・・・?』
 エリシュカはぽろぽろと涙を零していた。十代に似たその顔は、記憶の中と同じくやっぱり綺麗だった。
「その涙は、すべてを投げ出したアイツを想ってか?それとも、すべてを押し付けられた俺を想ってか?それとも・・・・・・遠い昔、君を産み出し俺に託した、闇を統べる者を想って?」
 あのすべてを掻き消す光の中で、すべてを捨てようとしたのに、捨てる所か、知りたくもなかった闇と光の宿命を知って、俺はさらに絶望した。「優しい闇」と「孤高の光」の、何度も巡り会って、何度も恋をして、何度も憎しみあった記憶に、僅かな希望を持つことすら馬鹿らしく思わせた。放り出すことさえも失敗して俺は疲れていた。だから、エリシュカとの遠い昔からの絆さえも、俺にとっては苦痛にしかならなかった。
 そんな俺の厭味にエリシュカは頭を振った。
『すべてを忘れた“ヨハン”は、あなたの願望だった。すべてを失くしたと絶望して、すべてを捨てようとしたのに、すべてを押し付けられたあなたの夢・・・・・・だから、わたしはあなたの夢を守りたかった・・・・・・そして、もう一度、互いを受け入れてもらいたかった・・・・・・けど・・・っ!』
 エリシュカは最初からすべて知っていたのだろう。再びその頬に、綺麗な涙が零れ落ちていく。けれど俺にはその願いを叶えてやることはできない。
「俺は俺を許せなかったし、アイツは俺を認められなかった。何もかも、もう遅いし、やり直すこともできない。俺は俺として、俺の望みの叶える為にやれることをする。十代は逃がさない。死なせない。その為なら俺は・・・・・・!」
 逆らうならもう一度力で従わせてやろうと、睨みつけた俺の視線の先にあったのは、膝を突き頭を下げるエリシュカの姿だった。
『私は貴方に従う。貴方を守り、貴方の望みを叶える。それが、私の使命』
 その瞳にもう涙はなかった。ただまっすぐに俺を見つめていた。きっとエリシュカは自分を憎んでいる俺さえも信じてくれているのだろう。それは、今の俺には痛かった。






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